教える力

相撲部屋で17歳の少年が死んだ。
稽古とシゴキ、シゴキとリンチ、この境界は実に難しい。
教える側に愛情が必要なのは言うまでもない。
ここでは「技術面」の話をしたい。
私は高校時代、少林寺拳法部にいたので今回の事件は肌で分かる。
高校時代、「乱取り」(組み手のこと)で相手の突き・蹴りで目から星が飛んだとき、周りには「ストップ」してくれる先輩がいた。
「長谷川ダメだ、KO!」
と私の意識が飛びかけているのを、表情からすぐに察知してくれた。
ボクシングのレフェリーのように絶妙のタイミングで。
(おかげで鼻血と打撲だけで、私は死なずに済んだわけだ)
だから後輩は集中して「乱取り」ができた。
つまり師匠や先輩は相手の力量の“限界点”を知ってないと務まらない、ということ。
「これ以上やったら、つぶれる。」
と分かっていないと事故が起きる。
分かっていない人間は指導する資格がないのだ。
これは相撲部屋だけの問題ではない。
学校のクラブも、スポーツ教室もリトルリーグも皆同じ。
『指導する側の人間全員』に突きつけられた問題だ。
どれだけの指導者が今回の事件を、自分と置き換えて考えてくれただろう。
「想像力」とは、こういう場面で働かさなければいけない。