寛容は自分のためである
今日は中国人実業家、宋文洲さんの言葉を紹介します。
素晴らしいので、ここでシェアしたいと思います。
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近代中国にとって毛沢東が発動した文化大革命は最悪な時代でした。私の家族は資本家や地主であったため、酷く差別され、闘争大会では父親が二十歳そこそこの紅衛兵達によく殴られました。
よる差別が禁止されました。非に気付いた紅衛兵達はやっと我に返って普通の 青年達に戻りました。
毛沢東が死去しトウ小平が登場すると全てが普通どおりになり、
罪悪感からか、道を歩く父と出会うと、
これに気付いた父がむしろ早足で彼らに近付き、「もう過去のこと だから気にしないでください」といって回りました。
その中には父の顔を殴った人もいれば、
その侮辱の現場を強引に私達家族に見せる人もいました。
「あんたは鳥頭だね(忘れっぽいという意味)。
仕返すようなことをしなくても、こちらから話すことはないじゃ ないの」
母の怒りは我達の気持ちを代弁してくれました。
父親は母の気持ちが少し平静になるのを待って言いました。
「私は彼らのために彼らを許したわけではない。私のため、家族のためだ」と。
「いいえ、僕は彼らも同じ目に遭わせてやりたい」
と兄は言い出しました。
「お前達は犬に噛まれたら犬を噛み返せるか」と。
「犬を噛み返せるか」。
理不尽な目に遭って復讐したい時、この言葉はいつも私 の耳元にありました。
理不尽な顧客、乱暴な上司、嫌な同僚、嫌いな組織や国家・・・
しかし、許せない気持ちを持つことの一番の被害者は自分であることは間違い ありません。
寛容であることの最大、そして最初の受益者は寛容になれる本人 です。
その瞬間から太陽が輝き、愛が心に宿り始めるのです。
不寛容の人はその表情を見ればわかります。
「大人は顔に責任を持て」という日本語もこのことではない かと最近よく思います。
「いい顔している」人をよく観察していると気付きますが、
相手の心が狭くても不寛容であっても、こちらが不寛容になる必要がありませ ん。
「人は犬を噛み返せない」からです。
「寛容は人のためならず」だからです。
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文化大革命
これ、今からわずか40年前の中国の話です。
とても現実味を感じませんね、今の中国を見てると。
翻弄され、1千万人以上の犠牲者を出したそうです。
そんな中、立派な人はいたんですね、この父親のような。
「寛容は人のためならず」
今の日本人に必要な金言ですよね。